縄文のある風景

古里の四季折々に、ゆったりと流れていたであろう「縄文」に思いを重ねて

良い雨の降り方とは

 どうなのでしょう

 午前中は、トンビが優雅に睥睨(?)、地上は霧雨。雨音すら聞こえません。 

 午後から、かすかな雨音。しかし、この程度。

 野菜達にはもってこいの雨量とも言えます。何よりも、”叩かれる(風雨に)”ことが少ない状態です。

 降れば降ったで「早よ~降り止まんか~い」、長く降らなきゃ「あよ~、雨ん降らんとばい~」と嘆くカカには常に戒めの言葉「人間の都合は優先せんとばい」。

 よく聞く概念に「自然を克服」。

 傲慢な人でなし共のざれ歌でしょうか。”自然(ガイア)”の嘆きを聴きながら生きる方法を模索した方が理に適っていると思うのですが、どうなのでしょう。特に、昨今の「炭酸ガスで温暖化、地球は危険水域に・・・」騒動。せめて縄文時代期あたりからの気候を調査したうえでの<現代は未曽有の炭酸ガス多発期=温暖化>、とするならばある程度の共感は得られるでしょうが。

 ”多雨”が今後の焦点となりましょうか。人でなし共は気象兵器を手にしているようでするが。

                              では又