縄文のある風景

古里の四季折々に、ゆったりと流れていたであろう「縄文」に思いを重ねて

秋風が心地好く

 寝心地も又・・・

 つい先日「浜ん、えらいきれいになっとっとけど・・・。」と、カカ。雨上がりの今日、見てみますと、成程・・・。

 実は、帰島人Sが帰島した日に”浜掃除”してくれたようで「色んついたとだけ拾た。木は重たかもん」、とのこと。道理で、S直上の姉T(夫婦)が掃除した後の袋(名前失念)が膨らみ、形状が変わっています。

 筆者の従妹3姉妹、よくやってくれてます。あと10日もすれば、長女M(夫婦?)が帰島予定、浜んくら(浜辺)がきれいになりましょう。有難いことです。

 さて、先日からの鳥バトル、とっ散らかされた播種ポッドの残骸。

 と、その引き金になったか、柿の実への袋掛け(5個ほど)。

 「鳥(動物)と共に生きる」と言う言葉、聞こえはいいでのですが、大変ですよ。これが若し生活補助の一部だとしたら簡単ではありません。猪害でよく考えるのが「動物愛護協会の人たちはどがん考えっちゃろか?」と言うこと。

 ”自然と共に”は貫きますが、物見雄山気分での”動物愛護論”は御免蒙ります。

                        では又